大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和51年(う)247号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人野口三郎が差し出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に、それぞれ記載してあるとおりであるから、これらを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。

弁護人の控訴趣意について

一、本件出火が被告人の過失によるものとの原審の認定、判断を非難する事実誤認の主張について

所論は、原判決は、本件出火の原因につき、被告人が酔余、原判示「セシボン」店内で宿泊しようとして同店内に入り、店内旧館自動扉付近の床上に客用椅子四脚を一列に並べてベッドを作り、寒さを凌ぐため、電気ストーブを椅子から僅か三〇センチメートル離した位置に設置し、トレンチコートを自己の下半身に掛けたまま眠り込んだ重大な過失により、右コートを電気ストーブ上にずり落し、これに引火させて燃え上らせ、床に敷かれたカーペットに燃え移らせて火を失し、本件結果に至ったものと認定、判断しているが、(一)原審証人三宅勝二の証言及び同人作成の鑑定書によれば、火はコートから椅子に直ぐ燃え移り、カーペットは燃え出していない結果が出ているし、コートが一旦発炎状態となってから僅かの時間で椅子に燃え移っているのに、本件では椅子の上に寝ていた被告人が全く外傷を負わず、髪の毛一本火傷していないことが証拠上明らかである。(二)被告人は出火後到底消火することが不可能であったため避難したのであるが、その際一旦店の奥のカウンターの所へ逃げ、そこで熱風にあおられ呼吸も苦しくなったので、出口に飛び出そうとし、その途中で意識を失ない、階段の所で倒れ、その後救助され、病院で初めて意識を回復したもので、このことからすると、被告人が出火に気付いた時点では既に相当火も廻り、煙が立ちこめてガスも充満しており、被告人の一酸化炭素中毒も相当なものであったと考えられる。以上の諸点から考えると、コートが電気ストーブの上にかぶさってから発炎して出火したものと断定するには疑問があり、原判決の前記認定には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるとする趣旨と解される。

そこで、原審記録を調査、検討するに、本件結果の発生が被告人の原判示重過失によるものであることを含め、原判示事実は、原判決挙示の各証拠により、優に認定することができる。まず、本件出火場所が、当時被告人が仮眠していた原判示朝日会館旧館二階の「セシボン」店内の三四卓付近で、かつ、被告人が電気ストーブを置いた場所付近であることは、≪証拠省略≫並びに証拠物である焼損した電気ストーブ、コンセント、電線コード、電線コード片により認められる以下の諸事実、すなわち、右「セシボン」店内の焼燬状況は、被告人が椅子ベッドで寝ていたあたりは床まで焼失し、炭化深度が相当進んでいること、同所のほぼ真下にあたる一階地点から燃損した電気ストーブが発見されたこと、電気ストーブのプラグが差し込まれていたコンセントに接続していたものと認められるコードに、いわゆる電気的「とけ」、すなわち、短絡を示す痕跡があり、他に失火の原因となり発火地点と目すべき個所が認められないこと等により優に肯認されるところである。また、被告人が捜査官に対し眼を覚したとき、就寝時腹部から下方に掛けていたトレンチコートが見当らなかった旨認めていることや関係証拠により明らかな、被告人がベッドに使用した客用椅子の構造、すなわち、奥行約四八センチメートルで座部の中央がやや盛りあがっており、ベッドに使用するにはいささか幅が狭いことから、被告人が寝返りを打った際、掛けていたコートがずり落ちたことは十分推認されるところであって、原判決がコートが椅子ベッドの南側(被告人の頭の方)から一脚目と二脚目の中間付近横、僅か三〇センチメートルの位置に置かれた電気ストーブにかかり、引火、燃上したと認定したことに事実の誤認はない。所論は、前記引用のとおり、証人三宅勝二の証言、同人作成の鑑定書を援用して、原判決の認定に疑問があるというのであるが、これら証拠のほか、司法警察員作成の実験使用資材の入手経過捜査報告書によれば、三宅証人は、鑑定人として、被告人が使用したのと同型式の電気ストーブ、同型同材質のトレンチコート等を使用し、被告人の捜査段階における供述に基づき椅子ベッドと電気ストーブとの位置関係を設定し、トレンチコートを右電気ストーブの発熱線上に任意に落して実験したところ、一分半位で発煙し出し、その状態で約五四分間相当量の煙を発し、発火温度に達して発炎したというのであって、その間に椅子ベッドに寝ていた者がその煙により呼吸困難となって眼を覚ますことは十分ありうることであって、所論のように火が椅子に燃え移って本人が身体の一部に火傷するまで眼を覚ますことがないなどとは到底考えられないところである(なお、三宅証言によれば、本実験をした実験室はビルの中にあり、余りボーボー燃やすと鉄筋がおかしくなるので、カーペットに着火する前の段階で実験をやめたというのであるから、右実験において、カーペットが燃えていないのは当然であり、所論のこの点に関する部分も失当である。)。したがって、本件被告人としても、右実験結果からも明らかなとおり、椅子が燃え出すまでの間において、すでに発生していた煙により呼吸困難となり眼を覚したものと推認するのが相当である。また、所論は、被告人自身は出火場所を正確に確認していないというが、所論も認めるような被告人の避難時の状況からすれば、これまた当然というべきであって、原判決の認定を左右するに足りるものではない。論旨はすべて理由がない。

二、原判決が被告人の過失の程度を重過失と認定したことは、事実を誤認し、ひいて法令の適用を誤ったとする主張について

まず、重過失と単純過失とを区別する基準について考えてみるに、重過失に関する刑法中の規定が比較的新しいせいもあって、未だ必ずしも定説をみないところであるが、少なくとも普通人の払うべき注意義務を著しく怠った場合あるいは行為の法益に対する危険性が社会生活上著しく高く違法性が強度な場合には、重過失に当たると解するのが相当である。これを本件についてみるに、原判決が(弁護人の主張に対する判断)の二、過失の程度の項において詳細に説示しているとおり、原判示朝日会館は、付近に映画館、飲食店等の密集する繁華街にあり、その構造も、地上七階地下二階建の鉄筋耐火構造の新館と地上二階建の木造モルタル造りの旧館とを継いだ建物で、各階に店舗、貸事務所等のある、いわゆる雑居ビルであり、火災予防上、構造ないし管理に問題のあるものであったこと、ことに「セシボン」では、防火上の観点から原則として店舗内の宿泊は認めていなかったこと等からして、本件被告人のような事由、目的では宿泊すべきではないことは勿論、木造の旧館内で火気を取扱う際には、とくに慎重な配慮が必要であって、本件のような方法、形態で、酔余就寝するにあたり、電気ストーブを通電したまま放置することは、就寝中相当時間にわたり、電気ストーブを人の制禦し得ない状態に置くもので、それ自体極めて危険性のある行為であり、右行為による危険性は、普通人である被告人において容易に予見可能なことであり、右危険を回避するには、まず、電気ストーブを使用しないこと、使用する以上は椅子ベッドから相当な距離を置いて設置し、トレンチコートを掛けるにしても、これがずり落ちて電気ストーブに加熱され発火することのないようにしたうえ、就寝すべきであり、このことは、極めて容易に気付き、かつ、実行可能なことがらであったというべきである。然るに、被告人は、酔余、就寝したい一心から、以上のように実行が極めて容易であるのに僅かな注意をも払うことなく最少限の結果発生の回避措置をとらず、漫然椅子ベッドから僅か三〇センチメートルの至近場所に電気ストーブを設置、通電し、身体にトレンチコートを掛けたまま眠り込み、原判示のような重大な結果を引き起したものであって、以上の諸点にかんがみれば、被告人の本件行為は、普通人の払うべき注意義務を著しく怠ったものであり、かつ、その行為の法益に対する危険性も社会生活上著しく高く、違法性の程度の重大なものであったと認めるに十分である。所論は、原審公判廷における被告人の供述を援用して、被告人としては電気ストーブを設置するにあたり、椅子との間隔について四〇センチメートル以上の距離をとり、一応の注意をして就寝したというが、右供述は、この点に関する被告人の捜査段階における一貫した供述と対比して措信し難く、そのほか、周辺に、被告人のコート以外に可燃物のなかったこと、電気ストーブは不安定なものでないこと等、種々主張するが、原審の本件重過失の認定を動かすに足りるものではなく、原判決に所論のような事実誤認ないし法令適用の誤りがあるとはいえない。本論旨も理由がない。

そこで、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 服部一雄 裁判官 藤井一雄 中川隆司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例